高粛
publish: 2021-11-05, update: 2022-02-28
541年-573年。字は長恭。蘭陵王。高澄の第4子。若くして都督并州諸軍事と并州刺史を兼任し、突厥や北周を相手に歴戦したが、その威名を恐れた高緯から毒薬を賜り自殺した。勇猛さは『蘭陵王入陣曲』として残り、美貌と悲劇的末路から伝説となった。高長恭の名で知られる。
関連
祖珽
生没年不詳。字は孝徴。范陽郡遒県の人。祖瑩の子。范陽祖氏の出身で、勲貴や恩倖と権力を争った典型的な漢人系名族。和士開と争って入獄し、失明してなお権力への情熱を失わなかった。勲貴の斛律光を失脚させたほか、過度な権力闘争により北斉を衰退させた。北徐州刺史に左遷され任地にて没した。
高洋
526年-559年。字は子進。北斉の初代皇帝。文宣帝。高歓の第2子。高歓の死後その勢力は長子の高澄が継ぐが、高澄が蘭京に殺害されたため蘭京を討って地位を固めた。元善見に禅譲を迫り皇帝に即位、北斉を建てた。当初は精力的であったが、後に酒色におぼれた。在位9年。
赫連勃勃
381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。