高儼 ( こうげん )

publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19

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558年-571年。字は仁威。琅邪王。高湛の子。高緯の弟。若くして聡明、剛毅であり、顕職を兼任して強力な権限を持った。専横する和士開を弾劾し処刑せしめたが、軍を動員して高緯に従わなかったため鄴に幽閉された。属官らは捕縛、処刑され、その影響力を恐れた高緯に殺害された。

関連

劉秀

前5年-57年。光武帝。後漢の初代皇帝。字は文叔。劉欽の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王莽の失政で各地で反乱が頻発すると、兄・劉演と共に南陽から挙兵した。河北を平定して更始帝・劉玄から自立し、諸勢力を討伐して漢王朝を復興させた。歴代の中華王朝きっての名君の一人。

司馬攸

246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。

拓跋普根

?-316年。代の第2代王。拓跋猗㐌の子。父・拓跋猗㐌の死後は中部拓跋部を継いだが、拓跋猗盧が三部を統合するようになるとこれに従った。拓跋猗盧が拓跋六脩に殺されると、拓跋六脩を殺して王位を継いだ。間もなく死去。在位は僅か一ヶ月。跡は子が継いだが名は伝わらない。

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