傅顔
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。前燕の長楽郡太守。李黒の反乱の鎮圧、東晋の諸葛攸による侵攻の迎撃、慕輿根の誅殺、呂護の討伐などに関わった。前燕が衰退すると桓温の北伐を受け、その一軍を率いた朱序に敗れた。その後の事跡は不明。
関連
紀瞻
253年-324年。字は思遠。紀陟の子。顧栄や周玘らと共に陳敏の反乱を鎮圧した。江南に駐屯した司馬睿に仕え、王導と共に司馬睿の皇帝即位を推進した。司馬紹から社稷の臣と評され、爵位は臨湘県侯、官職は散騎常侍、驃騎将軍まで昇る。病没。五儁の一人。
楊震
54年-124年。字は伯起。弘農郡華陰県の人。楊宝の子。前漢の楊喜を祖とする名家の出身。長らく仕官せず50歳で鄧騭の推挙を受けた。荊州刺史、東萊太守などを歴任し、中央に召されて太僕、太常、太尉を務めた。鄧氏の失脚後は王聖、伯栄、閻顕、耿宝、樊豊ら佞人の讒言を受け免官、蟄居した。自害。
宇文闡
573年-581年。北周の第5代皇帝。静帝。宇文贇の第1子。宇文贇から譲位され即位する。即位時は僅か7歳であったため、外戚の楊堅の摂政を受けた。前代から既に国内に混乱が見られ、これを収束できないために楊堅から禅譲を迫られ退位した。介国公に封じられるが殺害された。