劉桃枝 ( りゅうとうし )

publish: 2022-05-02, update: 2022-05-01

王朝

章節

retsuden

生没年不詳。出自は不明で奴隷とされる。高歓以来、北斉の歴代君主に仕えて、時の権力者の汚れ役、実行役として多くの重臣、皇族を処刑した。高徳政、高浚、高渙、高叡、高帰彦、高儼、斛律光と名だたる人物を殺害しながら保身に優れ、北斉の苛烈な権力闘争を全うした。北斉滅亡後の事跡は無い。

関連

高叡

534年-569年。小名は須抜。趙郡王。渤海郡蓨県の人。高琛の子。父が若くして処刑されたため、高歓に引き取られて父の爵位を継いだ。刺史を歴任して農業、養蚕の振興や長城の修築を行って評価された。兵の監督にも優れて人望を集め、軍の統御に卒がなかった。和士開を弾劾して不興を買い、劉桃枝に殺害された。

高緯

556年-577年。字は仁綱。北斉の第5代皇帝。後主。高湛の第1子。父高湛から帝位を譲られて即位した。和士開、高阿那肱、穆提婆ら奸臣を重用したため、斛律光、高長恭などの重臣、王族たちが讒言によって粛清された。北周の攻撃を受けて逃亡するが捕われ後に殺害された。在位2年。

斛律金

488年-567年。字は阿六敦。朔州勅勒部の人。斛律大那瓌の子。塵を見て敵の数を知り、地を嗅いで敵の距離を測ったという。破六韓抜陵に従ったが降伏して爾朱栄に帰順した。その後、高歓に従い東魏、北斉の変遷の中で自身のみならず一族を繁栄させた。咸陽郡王、左丞相。
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