高叡 ( こうえい )

publish: 2022-03-28, update: 2026-04-19

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534年-569年。小名は須抜。趙郡王。渤海郡蓨県の人。高琛の子。父が若くして処刑されたため、高歓に引き取られて父の爵位を継いだ。刺史を歴任して農業、養蚕の振興や長城の修築を行って評価された。兵の監督にも優れて人望を集め、軍の統御に卒がなかった。和士開を弾劾して不興を買い、劉桃枝に殺害された。

関連

元欣

生没年不詳。字は慶楽。北魏の広陵王・元羽の子。節閔帝・元恭の兄。各州の刺史を歴任し、行政に優れた。いくつかの王位の改封を経て広陵王を継いだ。北魏分裂時は元脩に従って関中に入った。西魏宗族では最高位にあり諸王よりも高い格式で礼遇された。宰相職を歴任した。554年以降に病没。

区星

?-187年。賊の頭目だったといい、黄巾の乱以降、治安が悪化すると将軍を自称して長沙郡を中心に荊州南部を荒らした。零陵郡の周朝、桂陽郡の郭石らが同調したが、十常侍の偽勅で長沙太守に任命された孫堅が赴任すると、ひと月余りでまとめて鎮圧された。

元廓

537年-557年。西魏の第3代皇帝。恭帝。元宝炬の第4子。元欽が宇文泰に廃位されると代わりに擁立された。宇文泰が死去すると宇文護に譲位を迫られて禅譲した。宇文覚が皇帝に即位し北周を建てると宋公に封じられるが間もなく殺害された。在位2年。

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