高叡
publish: 2022-03-28, update: 2026-04-19
章節
標籤
534年-569年。小名は須抜。趙郡王。渤海郡蓨県の人。高琛の子。父が若くして処刑されたため、高歓に引き取られて父の爵位を継いだ。刺史を歴任して農業、養蚕の振興や長城の修築を行って評価された。兵の監督にも優れて人望を集め、軍の統御に卒がなかった。和士開を弾劾して不興を買い、劉桃枝に殺害された。
関連
祖逖
266年-321年。字は士稚。祖武の子。西晋の各王の属官を歴任したため、八王の乱が進むと各王から召集されたが、いずれにも応じなかった。永嘉の乱で洛陽が陥落すると一族を挙げて徐州へ移住した。司馬睿により徐州刺史に任じられ、河南の地を後趙から奪還した。病没。
燕鳳
?-428年。字は子章。代郡の人。学問を修めてその高名を知った拓跋什翼犍に招かれた。長らく応じなかったが半ば強引に礼遇され、左長史に任じられたほか、太子・拓跋寔の教師役となった。代が前秦に併呑されると嫡流の拓跋珪を匿った。拓跋珪が独立すると北魏の中央職を歴任した。
達奚武
504年-570年。字は成興。代郡の人。達奚長の子。汧城鎮の生まれで北鎮の乱が起こると賀抜岳の部将となった。賀抜岳が侯莫陳悦に殺されると宇文泰に従い官爵を進めた。東魏戦線のほか南征を行って梁の漢中を攻略するなど、長らく軍務を務めて功績を挙げ続けた。北周成立後も太傅まで昇った。