馮弘
publish: 2021-11-06, update: 2026-04-19
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?-438年。字は文通。北燕の第3代天王。昭成帝。馮安の子。馮跋の弟。馮跋が病床に伏せると外戚の宋氏が馮翼の廃嫡を謀ったため乗じて反乱を起こした。馮跋が病没すると天王に即位し馮翼を殺害した。北魏の攻撃を受けて高句麗に亡命するが北魏を恐れる高句麗によって殺害された。
関連
釈道安
314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。
源賀
407年-479年。禿髪傉檀の子。元の姓名を禿髪破羌という。西秦によって南涼が滅亡すると北涼、次いで北魏に亡命した。北涼攻略では先導を務めて功を立てた。拓跋余が宗愛に殺害されると、禁軍を率いて宮中を制圧し拓跋濬を擁立した。病没。
穆提婆
?-577年。漢陽郡の人。元の姓を駱という。駱超の子。父・駱超が謀反により処刑されると、母・陸令萱が後宮に入ったため、高緯に近侍した。後宮内に隠然たる実力を示し、皇后や外戚に対する皇帝の意向を左右した。北斉が滅ぶと北周に降ったが、のちに謀反を告発されて処刑された。