蕭鸞
publish: 2021-08-09, update: 2026-08-22
452年-498年。字は景栖。蕭斉の第5代皇帝。明帝。蕭道成の兄蕭道生の第2子。父蕭道生の死後は蕭道成に養育された。蕭昭業、蕭昭文を相次いで廃位、殺害し皇帝に即位した。政治行政に有能を発揮したが、蕭鏘の粛清や蕭賾の子孫を断滅するなど猜疑を重ねた。在位4年。
関連
司馬保
294年-320年。字は景度。司馬模の子。司馬越の甥。洛陽の陥落以後、秦州一帯を領有した。司馬睿と並んで司馬鄴を補佐する立場にあったが、後に司馬鄴を軽んじて、積極的に援護せず長安陥落を傍観した。皇帝を自称したが、前趙に対して劣勢となると、配下の張春に殺害された。病没とも。
陳俊
?-47年。字は子昭。南陽郡西鄂県の人。劉嘉の長史となったが、劉嘉の薦めで劉秀の安集掾となった。各地の農民反乱の鎮圧に働いたほか、董憲や張歩を討伐した。泰山太守、琅邪太守として山東の鎮撫に大きく貢献した。琅邪太守、祝阿侯。
蕭棟
?-552年。字は元吉。梁の第3代皇帝。豫章王。蕭歓の子。蕭衍の曾孫、蕭統の孫。侯景の乱の中、蕭綱を廃した侯景に擁立されて皇帝に即位するが、3か月後には侯景に禅譲を迫られた。侯景を滅ぼした蕭繹に救出されるが、蕭繹の意で殺害された。