李暠
publish: 2021-11-12, update: 2026-06-05
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351年-417年。字は玄盛。西涼の創始者。武昭王。李昶の子。隴西郡狄道県を本貫とする隴西李氏。段業が後涼から独立して北涼を建てたとき敦煌太守となる。晋昌太守の唐瑶に推戴されて北涼から独立した。殖産と貿易により内政を安定させ、漢文化の保持に務めた。病没。
関連
鮑照
414年-466年。字は明遠。東海郡襄賁県の人。貧しい家柄に生まれ、臨川王・劉義慶に仕えたほか、臨海王・劉子頊の下で前軍参軍を努めた。劉子頊が反乱すると、混乱のなか殺害された。詩人として高名で、その作風は通俗的と批判される一方で、躍動的にして新奇的であり、後世に大きな影響を残した。
解思明
?-345年。出自は不明。李寿の長史に任じられた。李寿が皇帝・李期と対立すると羅恒とともに謀り、成都を占拠して李期を廃し東晋に従属することを進言した。李寿の死後、李勢の後継として皇太弟を立てることを求めたため、李勢の怒りを買って処刑された。諫臣。
殷仲堪
?-399年。陳郡長平県の人。殷師の子。殷浩は従伯父にあたる。謝玄の属官を経て、荊州刺史として西府軍を統括した。王恭に同調して王国宝を殺害せしめるが、再度挙兵した際には調略された桓玄と敵対し敗死した。果断に乏しく軍人としては評価されないが、恤民に溢れて政治に優れた。