韓遂
publish: 2021-12-27, update: 2026-04-19
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?-215年。字は文約。元の名は韓約。辺章とともに涼州での名声が高く、土着する羌、氐の不満分子と結びついて反乱した。皇甫嵩の討伐を退けて、以後、服従と反乱を繰り返して巧みに独立を維持した。曹操の攻略に敗北し、逃走先で斬られたとも病死したともいわれる。享年70余歳。
関連
楊駿
?-291年。字は文長。一族の楊艶、楊芷が司馬炎の皇后となった。外戚として権力を集め、重職を委ねられるようになったが、能力に不足し人望は高まらなかった。専横を憎む賈南風一派の政変によって失脚し、一族もろとも処刑された。暗愚だったが、敵対者を無暗に殺害しなかった。
慕容隆
?-397年。後燕の高陽王。慕容垂の子。兄・慕容農と共に父の進退に従った。苻丕を軍を破るなど各地を転戦、慰撫し、慕容農に次ぐ人望と名声を得た。慕容垂の死後は、一貫して慕容宝を支援した。後継問題を機に謀叛した慕容会に暗殺された。
元欣
生没年不詳。字は慶楽。北魏の広陵王・元羽の子。節閔帝・元恭の兄。各州の刺史を歴任し、行政に優れた。いくつかの王位の改封を経て広陵王を継いだ。北魏分裂時は元脩に従って関中に入った。西魏宗族では最高位にあり諸王よりも高い格式で礼遇された。宰相職を歴任した。554年以降に病没。