李寿
publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19
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300年-343年。字は武考。成漢の第4代皇帝。李特の弟李驤の子。軍を率いて成都に迫り奸臣排斥を上奏して李越らを処刑させた。さらに李期を廃して邛都県公に落とすと自ら皇帝に即位した。東晋に対する自立と臣従で国政が割れる中、徹底して帝位を維持した。後に病死。在位5年。
関連
殷景仁
390年-441年。陳郡長平県の人。殷道裕の子。劉毅の属官を経て劉裕に従い、そのまま宋の成立と共に入朝した。当初は劉湛との関係も良好で、荊州に出向した劉湛の呼び戻しを推薦したが、後に一方的に劉湛からは憎まれた。病を称して家に留まること五年におよび、その間、劉義隆との書簡の往来で職務を全うした。
元法僧
454年-536年。元鍾葵の子。拓跋珪の第3子・拓跋煕の曾孫。益州刺史に任じられるが統治は拙く、徐州刺史に転任した。元叉による粛清を恐れて、彭城にて挙兵し、皇帝を自称した。梁に救援を求め、北魏と戦いつつ梁へ亡命した。梁の武帝・蕭衍によって東魏王に封じられるが、間もなく病没した。
劉隆
?-57年。字は元伯。劉礼の子。長沙王・劉発、および安衆侯・劉丹の末裔で、劉秀とは同じ南陽劉氏で遠い縁戚にあたる。劉玄から騎都尉を任命されたが、劉秀に合流した。南郡太守を務めたとき不正により一時庶民に落された。呉漢の死後は、大司馬を兼任した。驃騎将軍、慎侯。