賈智 ( かち )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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493年-537年。字は顕智。中山郡無極県の人。賈道監の子。北魏末に相次いだ反乱に対応し功績をあげた。爾朱栄の台頭、爾朱氏の内紛を巧みにくぐり抜け、高歓に従った。開府儀同三司、侍中まで上った。各州の刺史を務めたが民衆を搾取しており民政には明るくない。東魏が成り晋陽へ赴任し、後に罪の連座を受けて刑死した。

関連

拓跋弘

454年-476年。北魏の第5代皇帝。献文帝。拓跋濬の第1子。父拓跋濬の死後即位する。即位時は幼少であったため、丞相の乙渾や馮太后が補佐に当たった。親政を行うと馮太后と対立し子の拓跋宏への譲位を余儀なくされる。国内の法治を整備したが、馮太后に毒殺された。在位6年。

慕容麟

?-398年。後燕の趙王。慕容垂の庶子。参合陂の戦いでは配下の慕輿嵩が擁立騒ぎを起こすなど、敗北の一因を作った。中山にて反乱を起こすが失敗して太行山に逃れ、慕容詳の悪政を機会にして慕容詳を攻め自ら即位した。北魏に攻められると鄴の慕容徳を頼った。後に造反し慕容徳に処刑された。

拓跋晃

428年-451年。拓跋燾の子。聡明であり皇太子でありながら拓跋燾の後見を受けて、実質的に北魏の政治を行った。農業振興に務めるとともに、北魏初期の漢化方針を採った。宗愛と対立して憂憤を強め、24歳で病没した。元法僧を除く後の皇帝はみな拓跋晃の血統である。

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