賀抜岳 ( がばつがく )

publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-534年。字は阿斗泥。賀抜度抜の子。賀抜勝の弟。武川鎮の出身で、爾朱栄の下で転戦して功を立てた。爾朱天光の副将として関中に入ったが、爾朱天光が高歓に敗れたため、高歓に帰順した。元脩と高歓の対立にあって、元脩の信任を得るが、その勢威を恐れた高歓に暗殺された。

関連

李暠

351年-417年。字は玄盛。西涼の創始者。武昭王。李昶の子。隴西郡狄道県を本貫とする隴西李氏。段業が後涼から独立して北涼を建てたとき敦煌太守となる。晋昌太守の唐瑶に推戴されて北涼から独立した。殖産と貿易により内政を安定させ、漢文化の保持に務めた。病没。

陳元康

507年-549年。字は長猷。広宗郡の人。陳終徳の子。北鎮の乱で陳留公・李崇に従って北伐し爵位を受けた。性は柔和で事務に優れ、慣例に長けたため高歓の重用を受けた。多くの献言を行った一方で貪欲とも評される。高澄による禅譲の密議をする最中、蘭京の襲撃に遭い高澄を庇って殺害された。

蔡倫

50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。

page /opt/build/repo/content/dynasties/386_北魏/retsuden/534_賀抜岳.md