劉粲
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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?-318年。字は士光。前趙の第4代皇帝。隠帝。劉聡の次男。都督中外諸軍事、相国などの重要職を歴任した。皇太弟劉乂の存在により長らく皇太子に立てられなかったが、後に劉乂を謀殺し皇太子となる。劉聡の死後、皇帝に即位するも外戚の靳準に謀反され処刑された。在位3か月。
関連
顧雍
168年-243年。字は元歎。呉郡呉県の人。父の名は不明。蔡邕に師事した。後漢の合肥県令を初め地方官を務めたのち孫権に仕えた。十九年の長期にわたり丞相を務めた。寡黙、公正で孫権には顧公が酒席にいると人々は楽しめないとまで言わしめた。諡は粛。醴陵侯。次子の顧裕が継いだ。
応瑒
?-217年。字は徳璉。汝南郡南頓県の人。応珣の子。曹操の辟召に応じて丞相掾属、後に五官中郎将文学となった。弟の応璩と共に文名が高く、曹丕や曹植から高く評価された。華北で大流行した疫病のため没し、著作は伝わらない。
麻秋
?-350年。胡人。後趙の武人で特に石虎に重用された。苻洪の反乱や、段遼ら鮮卑の侵攻、前燕、前涼の圧力に対して歴戦した。石虎の死後は冉閔に従い、王朗を攻撃して逃走せしめた。自立した苻洪に敗れて降伏するも、その勢力を奪わんとして苻洪を毒殺した。苻健によって処刑された。