侯莫陳崇 ( こうばくちんすう )

publish: 2021-05-17, update: 2026-04-19

?-563年。字は尚楽。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。爾朱栄、および賀抜岳の下で転戦した。賀抜岳が侯莫陳悦に殺害されると宇文泰を迎え入れた。宇文護の死を予想したため、宇文邕の譴責を受けたほか、宇文護の圧力を受けて自害した。

関連

皇甫嵩

?-195年。字は義真。安定郡朝那県の人。孝廉、秀才に挙げられたがいずれも辞退した。霊帝から招聘を受けると出仕し、北地太守を務めた。党錮の禁を解除させたほか、黄巾の乱をはじめ後漢末の反乱収拾に各地を転戦した。董卓とは軋轢が多く、一時は投獄されたが、董卓の死後は車騎将軍、太尉を歴任した。病没。

石虎

295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。

宇文貴

?-567年。字は永貴。昌黎郡棘城県の人。宇文莫豆干の子。夏州で育ち、学問に馴染めず軍功を志したという。夏州刺史・源子邕の下で、破六韓抜陵、葛栄らと戦った。源子邕の戦死後は爾朱栄政権で昇進し、元脩が関中に入ると従って、宇文泰からは同族として信任された。許国公まで昇った。阿史那皇后を迎えて帰還中に没した。

/opt/build/repo/content/dynasties/535_西魏/retsuden/563_侯莫陳崇.md