慕容垂
publish: 2021-10-16, update: 2026-04-19
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326年-396年。字は道明。後燕の創建者。成武帝。慕容皝の第5子。桓温の北伐を撃破した。慕容恪の死後、慕容評との確執を恐れ前秦に亡命した。淝水の戦い以後前秦から独立し後燕を建てた。翟魏、西燕を滅ぼした。北魏に出兵したおり陣中で病没。在位13年。
関連
何氏
?-189年。霊思何皇后。南陽郡宛県の人。何真の女子。何進、何苗の妹。屠殺業の家に生まれたが、賄賂によって後宮に入り、劉宏の寵愛を受けて劉弁を産んだ。同じく劉協を産んだ王氏を嫉視して毒殺し、劉協を養育する姑・董氏と後継を争った。董卓が劉弁を廃位すると李儒によって毒殺された。
斛律光
515年-572年。字は明月。斛律金の第1子。父に従い初陣で宇文泰の長史・莫者暉を討ち取った。大鵰(オオワシ)を射止めたことから落鵰都督と呼ばれ、高歓、高澄に厚く任用された。娘に皇后を輩出するなど一族揃って栄転したが、祖珽や穆提婆の恨みを買い、讒言を受けた高緯に処刑された。
慕容宝
355年-398年。字は道祐。後燕の第2代皇帝。恵愍帝。慕容垂の第4子。参合陂の戦いで大敗し衰亡の端緒を作った。慕容垂の死後一族の内紛を抑えられず、北魏の圧力と南燕の自立により中原を失った。失地回復のため北魏と戦うが敗北し配下の蘭汗に殺害された。在位3年。