夔安 ( きあん )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-340年。石勒十八騎の一人。天竺の出身であるが、遼東へ移り住んだ。傭兵稼業をする石勒と共に群盗となり各地を荒らした。石勒、石虎に従って文武を歴任した。晩年には、石鑑、冉閔、李農、張賀度、李菟ら五将を従え、荊州を攻めて東晋に名を響かせた。

  • 石勒十八騎とは、後趙の創建者である石勒の黎明期に従った十八人の通称。

関連

王導

276年-339年。字は茂弘。王覧の孫、王裁の子。琅邪王氏。利害調整に長け、寛大な政治を旨として人心をまとめたため、東晋の黎明を作った。王敦の乱や蘇峻の乱など度々政敵から攻撃を受けたが、失脚することなく執政を全うした。病没。

司馬衍

321年-342年。字は世根。東晋の第3代皇帝。成帝。司馬紹の第1子。司馬紹の死後即位する。蘇峻の乱では建康が陥落したときに身柄を拘束されるが、乱が鎮圧されると建康に戻った。幼くして即位したため政治は王導、庾亮、温嶠らによって為された。若くして病没。在位17年。

庾信

513年-581年。字は子山。庾肩吾の子。徐摛、徐陵親子と共に詩文に長けて、その詩は徐庾体と称された。侯景の乱が起こると江陵へ逃げるが、西魏の攻撃で江陵が陥落すると、多くの官民と共に長安へ拉致された。長安に抑留されつつも文人として活躍し、江南を哀惜する名作を残した。

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