夔安
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-340年。石勒十八騎の一人。天竺の出身であるが、遼東へ移り住んだ。傭兵稼業をする石勒と共に群盗となり各地を荒らした。石勒、石虎に従って文武を歴任した。晩年には、石鑑、冉閔、李農、張賀度、李菟ら五将を従え、荊州を攻めて東晋に名を響かせた。
- 石勒十八騎とは、後趙の創建者である石勒の黎明期に従った十八人の通称。
関連
馮異
?-34年。字は公孫。潁川郡父城県の人。王莽政権下で潁川太守を務め、潁川郡を攻略する劉秀に降伏した。優れた戦略家であり、各地を転戦して負けることがなかった。功績を誇らない姿を大樹将軍と称賛された。河北で劉秀一行が逃避行したとき、豆粥や麦飯を調達したため、劉秀はこれを生涯忘れなかった。征西大将軍、陽夏侯。
石虎
295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。
高粛
541年-573年。字は長恭。蘭陵王。高澄の第4子。若くして都督并州諸軍事と并州刺史を兼任し、突厥や北周を相手に歴戦したが、その威名を恐れた高緯から毒薬を賜り自殺した。勇猛さは『蘭陵王入陣曲』として残り、美貌と悲劇的末路から伝説となった。高長恭の名で知られる。