謝朓 ( しゃちょう )

publish: 2021-10-29, update: 2026-08-13

464年-499年。字は玄暉。陳郡陽夏県の人。謝緯の子。蕭賾の治世に出仕し諸王や重臣の属官を経て蕭鸞に大いに信任された。岳父・王敬則が反乱するとその計画を告発した。江祏の反乱への加担を拒否したため露見を恐れた蕭遙光、江祏らに殺害された。山水詩を洗練させた名人。

関連

侯莫陳崇

?-563年。字は尚楽。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。爾朱栄、および賀抜岳の下で転戦した。賀抜岳が侯莫陳悦に殺害されると宇文泰を迎え入れた。宇文護の死を予想したため、宇文邕の譴責を受けたほか、宇文護の圧力を受けて自害した。

苟晞

?-311年。字は道将。貧しい家の生まれだったが、東海王・司馬越に招聘されて、陽平郡太守まで昇進した。八王の乱では、主に司馬越に従い、公師藩、劉喬、汲桑らを討伐し、威光を高めた。青州刺史として曹嶷らと争った。後に司馬越と対立し、司馬越の死後、石勒によって滅ぼされた。有能であったが過酷でもあった。

孫権

182年-252年。字は仲謀。呉の初代皇帝。孫堅の子。孫策の弟。父兄の創業を引継いで江南に割拠し、多くの賢臣の補佐を得て呉を建国した。交州、荊州を領有したほか嶺南を開拓して勢力を拡大した。二宮の変と呼ぶ後継者争いを収拾できず、没落の兆しを残したまま没した。在位二十三年。

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