謝朓
publish: 2021-10-29, update: 2026-04-19
464年-499年。字は玄暉。陳郡陽夏県の人。謝緯の子。蕭賾の治世に出仕し諸王や重臣の属官を経て蕭鸞に大いに信任された。岳父・王敬則が反乱するとその計画を告発した。江祏の反乱への加担を拒否したため露見を恐れた蕭遙光、江祏らに殺害された。山水詩を洗練させた名人。
関連
蔡倫
50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。
何氏
?-189年。霊思何皇后。南陽郡宛県の人。何真の女子。何進、何苗の妹。屠殺業の家に生まれたが、賄賂によって後宮に入り、劉宏の寵愛を受けて劉弁を産んだ。同じく劉協を産んだ王氏を嫉視して毒殺し、劉協を養育する姑・董氏と後継を争った。董卓が劉弁を廃位すると李儒によって毒殺された。
蕭鸞
452年-498年。字は景栖。蕭斉の第5代皇帝。明帝。蕭道成の兄蕭道生の第2子。父蕭道生の死後は蕭道成に養育された。蕭昭業、蕭昭文を相次いで廃位、殺害し皇帝に即位した。政治行政に有能を発揮したが、蕭鏘の粛清や蕭賾の子孫を断滅するなど猜疑を重ねた。在位4年。