石勒 ( せきろく )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

章節

標籤

274年-333年。字は世龍。後趙の創建者。明帝。劉淵に従い前趙の将軍として河北を転戦し、西晋の幽州刺史王浚、并州刺史劉琨など、諸勢力を滅ぼした。前趙から独立して後趙を建て、河北に拠って前趙を滅ぼした。奴隷から皇帝まで上った中国史上唯一の人物とされる。在位15年。

関連

庾亮

289年-340年。字は元規。庾琛の子。永嘉の乱を江南に逃れ司馬睿が赴任すると王敦の推挙で任官した。王導の融和政策とは対称に法治政策をとり、蘇峻の乱を招いた。温嶠、陶侃の支持を得て蘇峻を滅ぼした。陶侃の死後、荊州刺史として西府軍団を後継した。病没。

靳準

?-318年。匈奴屠各種の出身。3人の娘を皇后に輩出し、外戚として地位を確立した。皇太弟・劉乂など政敵を失脚せしめた。のちに、第4代皇帝・劉粲を殺害し乱を成した。胡人で天子になった者はいないとし、皇帝ではなく天王を称して東晋への従属を図った。劉曜に包囲されて配下に殺害された。

蕭琮

生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。

/opt/build/repo/content/dynasties/319_後趙/hongi/1_333_石勒.md