石勒
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
章節
標籤
274年-333年。字は世龍。後趙の創建者。明帝。劉淵に従い前趙の将軍として河北を転戦し、西晋の幽州刺史王浚、并州刺史劉琨など、諸勢力を滅ぼした。前趙から独立して後趙を建て、河北に拠って前趙を滅ぼした。奴隷から皇帝まで上った中国史上唯一の人物とされる。在位15年。
関連
耿純
?-37年。字は伯山。鉅鹿郡宋子県の人。耿艾の子。真定王劉楊の外戚、甥にあたる。更始政権ではその出自を買われ鉅鹿へ赴任したが、王郎の挙兵で河北が乱れると劉秀に恭順した。一族の屋敷を焼いて忠誠を示し、後に反乱を企てた劉楊を謀殺した。劉秀の皇帝即位を強く薦めた。東郡太守、東光侯。
慕容会
?-397年。清河王。慕容宝の庶子。慕容垂に皇太孫とされたが、父、兄弟と折り合いが悪く慕容垂の死後、廃された。龍城に駐屯して北魏に敗れた父を救ったが、軍を取り上げられて慕容農と慕容隆に分配されたため、二人の暗殺を謀った。暴挙を知った慕容宝と交戦するも敗北し、中山へ逃亡したところを慕容詳に捕殺された。
桓玄
369年-404年。字は敬道。桓温の庶子、末子。司馬道子が専横すると、王恭、殷仲堪に呼応して挙兵した。挙兵は失敗するも自身は西府軍団の掌握に成功した。孫恩の乱では鎮圧を通して司馬元顕、劉牢之を除き、朝廷を掌握した。司馬徳宗を廃して皇帝を称し国号を楚とするが、劉裕の攻撃を受けて逃亡中に殺害された。