拓跋鬱律 ( たくばつうつりつ )

publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-321年。代の第4代王。拓跋弗の子。拓跋猗盧の死後、相続が混乱すると代王に擁立された。各地へ遠征し西は烏孫、東は勿吉を攻略し、鮮卑を北方最強たらしめた。前趙、後趙とも敵対し、前涼の朝貢を受け、東晋の爵位を拒絶した。拓跋猗㐌の妻・惟氏に殺害された。

関連

王祥

185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。

楊逸

500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。

赫連勃勃

381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。

/opt/build/repo/content/dynasties/315_代/hongi/4_321_拓跋鬱律.md