黄泓
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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284年?-381年?。字は始長。魏郡斥丘県の人。黄沈の子。永嘉の乱が起こると薊へ避難し、王浚を昏暴と評し慕容廆に仕えた。天文学に通じ、学者として史官や太史令を務めた。その学識から歴代の謀主や参軍などの相談役、軍師職を兼任した。前燕滅亡時まで健在だったが老齢のため前秦には仕えなかった。享年97という。
関連
劉懿
?-125年。少帝。後漢の第7代皇帝。済北王・劉寿の子。劉炟の孫。劉祜の死後、皇太后・閻氏によって擁立されたが、間もなく病没した。後に、孫程によって閻一族が粛清されると、王に降格されて改葬された。正史である范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。
顧愷之
生没年不詳。字は長康。晋陵郡無錫県の人。顧悦之の子。桓温や殷仲堪の属官を務め、晩年は中央に入って散騎常侍となった。多才であり才絶、画絶、癡絶の三絶を備えると云われ、多くの名画を残して画聖と称される。肖像画を得意とし描線の美を知らしめた。真筆は散逸したが模写が傑作と評価されて残る。
呂隆
?-416年。字は永基。後涼の第4代天王。末主。呂光の弟・呂宝の子。呂纂が呂超らによって殺害されると呂超らに擁立された。相次ぐ内訌により後秦の侵攻に抗えず、降伏して長安に連行された。後に姚弼の謀反に巻き込まれ姚興に処刑された。