蕭昭業
publish: 2021-08-09, update: 2026-08-22
473年-494年。字は元尚。蕭斉の第3代皇帝。鬱林王。蕭賾の子蕭長懋の第1子。皇太子であった父蕭長懋の死後、皇太孫に立てられた。蕭賾の死後皇帝に即位した。父と祖父が相次いで病没したため、蕭子良、蕭鸞の輔弼を受けた。蕭鸞と対立して殺害された。在位1年。
関連
慕容会
?-397年。清河王。慕容宝の庶子。慕容垂に皇太孫とされたが、父、兄弟と折り合いが悪く慕容垂の死後、廃された。龍城に駐屯して北魏に敗れた父を救ったが、軍を取り上げられて慕容農と慕容隆に分配されたため、二人の暗殺を謀った。暴挙を知った慕容宝と交戦するも敗北し、中山へ逃亡したところを慕容詳に捕殺された。
馬成
?-56年。字は君遷。南陽郡棘陽県の人。劉秀が潁川を攻略したころ、安集掾、郟県県令代行となった。北方の守備に長け、并州から幽州にかけて防壁、櫓などを建設した。中央に召還されたときには北方への復職を望む嘆願があり中山太守となった。中山太守、全椒侯。
徐幹
171年-218年。字は偉長。北海郡劇県の人。建安の七子の一人。貧しい旧家に生まれた。品行が良く、文章に優れて司空軍師祭酒掾属、五官将文学を務めた。著作『中論』は曹丕から絶賛され、一家の言を成したと評された。病没。