宇文贇
publish: 2021-10-11, update: 2026-04-19
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559年-580年。北周の第4代皇帝。宣帝。宇文邕の第1子。宇文邕の死後即位する。皇太子時代から資質を疑問視され宇文邕から厳しく教育されたが改善されなかった。在位1年足らずで子の宇文闡に譲位した。政治への興味がなく朝廷を楊堅に一任し、北周滅亡の要因を作った。
関連
劉協
181年-234年。献帝。後漢の第14代皇帝。劉宏の子。劉弁の異母弟。董卓に擁立されて即位したが、以降、時の権力者の正統性の道具としてのみ機能し後漢王朝は実質消失した。曹丕が魏王を襲爵すると、世論の圧力により帝位を曹丕へ禅譲した。山陽公。
慕容永
?-394年。西燕の第6代皇帝。慕容運の孫とされるが父は不明。前燕の滅亡時に長安へ移住し、生活は困窮した。慕容垂が挙兵すると同時期に挙兵し、慕容泓、慕容沖と合流した。慕容忠が刁雲に殺害されると西燕をまとめて慕容垂に臣従したが、すぐに独立して8年に渡って割拠した。後に慕容垂の攻撃を受けて処刑された。
慕容皝
297年-348年。字は元真。前燕の初代王。文明帝。慕容廆の三男。父慕容廆の死後、弟慕容仁と覇権を争うが、これを収めて遼東公となる。燕王を称し東晋に追認される。同じ鮮卑の段、宇文を滅ぼし、高句麗、後趙へ外征した。落馬の重症が元で病没。在位15年。