欧陽詢 ( おうようじゅん )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

557年-641年。字は信本。長沙郡臨湘県の人。欧陽紇の子。父・欧陽紇が嶺南で反乱を起こして討伐されると、江総に匿われて養育された。陳の滅亡後は、隋、唐に仕え、王羲之以来の書法を研究した。初唐の三大家、楷書の四大家に数えられる。

関連

慕容泓

?-384年。西燕の創建者。慕容儁の子。前燕の済北王。前燕の滅亡に際して関中へ移住した。慕容垂が河北で反乱すると追って挙兵した。強永、苻叡を撃破して東進し慕容沖と合流した。慕容沖を擁立しようとする高蓋らに殺害された。兄・慕容暐を憚って皇帝に即位しなかった。

景丹

?-26年。字は孫卿。馮翊櫟陽県の人。王莽の頃、上谷郡の吏を務め、劉玄の即位に伴って上谷郡の長史となった。劉秀に従うと偏将軍、奉義侯となり河北平定で大きな功を成した。呉漢に次ぐ軍権を持った。蘇況の討伐を病を押して遂行し、そのまま没した。驃騎大将軍、櫟陽侯。

諸葛玄

?-197年。琅邪郡陽都県の人。諸葛亮の叔父。兄・諸葛珪が急死したため一族の家長を務めた。承制によって豫章太守となるが、朝廷から正式に豫章太守に任命された朱皓と争った。荊州に逃れてまもなく病没したとも、朱皓を支援する劉繇、笮融と敵対して敗死したともあり定かではない。

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