元恪 ( げんかく )

publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19

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483年-515年。北魏の第7代皇帝。宣武帝。拓跋宏の第2子。兄元恂の廃太子により立太子され、父拓跋宏の死後即位した。外戚の高肇の専横により、一族や高官の粛清が絶えなかった。在世中は梁、柔然への軍事行動が活発化した。熱心な仏教徒であった。在位16年。

関連

孫秀

?-301年。字は俊忠。琅邪郡の人。初め潘岳に仕えたが、狡猾、貪淫と評され度々処罰を受けた。司馬倫が琅邪王の頃に仕え、文章を賞されて累進した。多くの謀事に関り、司馬遹の殺害、賈氏の誅殺など数多の凶行を主導した。朝廷を専断して諸王の挙兵を招き、内部から呼応した趙泉に斬られた。

慧遠

334年-416年。姓は賈。雁門郡楼煩県の人。釈道安を師として出家した。前秦との戦乱を尋陽郡柴桑県に避け、廬山に入って以後30年間、山を下りなかった。白蓮社なる念仏結社を創り浄土教の祖となった。仏法は王法に従属しないと説き、桓玄と意見を対立させた。

沮渠蒙遜

?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。

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