張軌 ( ちょうき )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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255年-314年。字は士彦。前涼の創建者。武公。八王の乱により中央が乱れると涼州刺史を望んで赴任した。涼州に独自の勢力を築いたが一貫して西晋への臣従を貫いた。洛陽失陥以後、前趙の首都平陽の攻略の計画するが実行されなかった。病のため死去。

関連

石勒

274年-333年。字は世龍。後趙の創建者。明帝。劉淵に従い前趙の将軍として河北を転戦し、西晋の幽州刺史王浚、并州刺史劉琨など、諸勢力を滅ぼした。前趙から独立して後趙を建て、河北に拠って前趙を滅ぼした。奴隷から皇帝まで上った中華史上唯一の人物とされる。在位15年。

魚豢

生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

江総

519年-594年。字は総持。江紑の子。西晋から続く名門貴族の出身。尚書令の重職にありながら詩文を作るのみで、狎客と批判を受けた。陳叔宝の政治的暗愚を助長し、奸臣とも評される。優れた詩文は高く評価されるが、亡国の臣という経歴を伴って軽薄だとも評価される。

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