顧雍 ( こよう )

publish: 2026-10-05, update: 2026-10-06

168年-243年。字は元歎。呉郡呉県の人。父の名は不明。蔡邕に師事した。後漢の合肥県令を初め地方官を務めたのち孫権に仕えた。十九年の長期にわたり丞相を務めた。寡黙、公正で孫権には顧公が酒席にいると人々は楽しめないとまで言わしめた。諡は粛。醴陵侯。次子の顧裕が継いだ。

子女

出生順 爵位/諡号 名 生年 没年 生母 付記
1 顧邵 184 214 陸氏(陸康の娘)
1-1 顧譚 205 246 陸氏(陸駿の娘)
1-2 顧承 陸氏(陸駿の娘)
2 【呉】醴陵侯 顧裕
2-1 【東晋】元開国公 顧栄 312
3 【呉】醴陵侯 顧済

長子の顧邵は評判が良く、多くの人材を推挙したが、豫章太守在任中に早世した。 顧邵の子として顧譚、顧承がおり、いずれも有望であったが、二宮の変で全琮、全奇らと対立して交州に流刑となった。 次子の顧裕は持病を持っていたため弟の顧済が跡を継いだが子がいなかったため断絶した。 永安元年(258年)に詔勅により存命だった顧裕が爵位を継いだ。 顧裕は表立った活躍は無かったものの宜都太守まで昇っており、子の顧栄は東晋の重臣となった。

関連

李蕩

?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。

王経

?-260年。字は彦緯。冀州清河郡清河県の人。農家の出身だが曹丕の代に名士として名を知られた。軍事には明るくなく姜維の北伐に大敗して陳泰から批判を受けた。魏の司隷校尉、尚書まで昇ったが、甘露の変にて曹髦に近侍し続けたため反逆罪に問われて処刑された。後に司馬炎によって名誉を回復された。

苻健

317年-355年。字は建業。前秦の初代皇帝。景明帝。苻洪の三男。後趙に従ったが石虎の死後、後趙が乱れると長安を攻略し自立した。始め東晋に従属するもまもなく皇帝に即位した。桓温の北伐を撃退し関中の統治を確立した。病のため死去。在位4年。

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