李蕩 ( りとう )

publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19

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?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。

関連

王弥

?-311年。字は子固。王頎の孫。洛陽を留学したとき劉淵と親交を深めた。劉柏根が東莱で挙兵するとこれに従った。劉柏根の死後は青州、徐州を中心に反乱を継続するが、まもなく劉淵に従った。西晋の洛陽を陥落させ、大将軍、斉公まで昇るも、石勒と対立し誅殺された。飛豹と称された。

耿弇

3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。

王華

385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。

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