沮渠牧犍 ( そきょぼくけん )

publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09

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368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。

関連

徐邈

172年-249年。字は景山。燕国薊県の人。曹操の河北平定時に仕官した。県令、太守、刺史を歴任するたび道徳的で民に寄り添う行政手腕が評価された。蓄財しないために曹叡からは生活費を特別に支給された。司空を辞退し相応しい人物がいなければ空位とすべしとした。諡は穆。都亭侯。

崔琰

163年-216年。字は季珪。冀州清河郡東武城県の人。崔密の子。始め袁紹に仕えたが袁紹が死ぬと袁譚、袁尚のいずれにも出仕せず曹操の招聘に応じた。曹操の魏公封爵とともに尚書となり後に中尉まで昇った。魏王昇爵を賛美する上奏を批判したとして丁儀に讒言され処刑された。直言の士。

劉湛

392年-440年。字は弘仁。南陽郡安衆県の人。劉柳の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。宰相を志して管仲や諸葛亮に憧れた。劉裕の属官として厚遇を受けた。宋が成ると諸王の属官を務めつつ中央職を昇進した。劉義康が朝廷を専横するとこれを補佐したため、劉義隆に逮捕、処刑された。

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