沮渠牧犍
publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09
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368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。
関連
姚襄
331年-357年。字は景国。姚弋仲の子。姚萇の兄。父の死後、前秦と戦いつつ河北を南下した。淮南に駐屯して東晋の藩屏を成したが、東晋の揚州刺史・殷浩と対立し前燕へ帰順した。許昌、洛陽、平陽と徐々に西進し、関中の攻略を目論んだが、苻黄眉らに敗北し処刑された。
紀瞻
253年-324年。字は思遠。紀陟の子。顧栄や周玘らと共に陳敏の反乱を鎮圧した。江南に駐屯した司馬睿に仕え、王導と共に司馬睿の皇帝即位を推進した。司馬紹から社稷の臣と評され、爵位は臨湘県侯、官職は散騎常侍、驃騎将軍まで昇る。病没。五儁の一人。
王元姫
217年-268年。東海郡郯県の人。王粛の娘。司馬昭の妻。司馬炎の母。幼くして礼節と孝行を持ち合わせ祖父の王朗からは男子でないことを惜しまれた。鍾会の禍を予見した。没後も質素と謙譲の姿が偲ばれ、その都度親族の女性への追贈がなされた。諡は明。文明皇后。