李雄 ( りゆう )

publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19

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274年-334年。巴氐の出身。成漢の創設者。武帝。益州刺史羅尚を撤退させ成都を完全に制圧すると、成都王を称して成漢を成立させた。断続的に東晋と係争し漢中・巴東・寧州を攻略する一方で、前涼の張駿が東晋への臣従を勧めたときには一定の理解を示した。在位は30年に及ぶ。

関連

阮佃夫

427年-477年。会稽郡諸曁県の人。元嘉年間に湘東王劉彧に仕えて劉彧に信任された。劉彧が劉子業に監禁されると、諸方と連絡を取り合って劉子業の廃位を計画、実行した。対抗する反乱には軍を率いて転戦した。劉彧の死後、劉昱の廃位を実行したが失敗し処刑された。

殷景仁

390年-441年。陳郡長平県の人。殷道裕の子。劉毅の属官を経て劉裕に従い、そのまま宋の成立と共に入朝した。当初は劉湛との関係も良好で、荊州に出向した劉湛の呼び戻しを推薦したが、後に一方的に劉湛からは憎まれた。病を称して家に留まること五年におよび、その間、劉義隆との書簡の往来で職務を全うした。

赫連勃勃

381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。

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