達奚武 ( たつけいぶ )

publish: 2022-02-12, update: 2026-04-19

504年-570年。字は成興。代郡の人。達奚長の子。汧城鎮の生まれで北鎮の乱が起こると賀抜岳の部将となった。賀抜岳が侯莫陳悦に殺されると宇文泰に従い官爵を進めた。東魏戦線のほか南征を行って梁の漢中を攻略するなど、長らく軍務を務めて功績を挙げ続けた。北周成立後も太傅まで昇った。

関連

爾朱栄

493年-530年。字は天宝。爾朱新興の子。李崇の配下として六鎮の乱以降、頭角を現した。胡太后が元詡を殺害すると、高歓を先鋒として洛陽を攻撃し、胡太后らを処刑した。元子攸を擁立して、娘を娶らせると外戚として専横を強めた。帝位簒奪も目前であったが、元子攸に殺害された。

慕容瑤

?-386年。西燕の第4代皇帝。慕容沖の子。東進した慕容凱が臨晋県で殺害されると、慕容恒に擁立された。建平と改元するも、まもなく慕容永に殺害された。

釈道安

314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。

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