李洪
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。渤海郡蓨県の人。李臻の孫。永嘉の乱では潁川郡定陵県に移住し舞陽にて塢壁を築いた。王浚によって雍州刺史に任じられるが、後に慕容皝に帰順した。昇進を重ねて司空まで昇る。前燕滅亡時に長安に送られ駙馬都尉に任じられた。やがて没した。
関連
慕輿虔
生没年不詳。前燕の中軍将軍。零陵公。慕容恪が東晋領の洛陽を攻略したとき、降将であった沈勁を助命しようとした慕容恪を諫めた。その他の事跡は不明。
元悦
494年-532年。汝南文宣王。第6代皇帝・拓跋宏の子。兄・元懌が元叉に殺害されると、元叉に阿って高位に上った。爾朱栄によって河陰の変が起こると、難を逃れて梁へ亡命した。梁の後援を得て皇帝に即位し洛陽に入った。爾朱氏が滅びると、洛陽を押さえた高歓によって殺害された。
王浚
252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。