李洪 ( りこう )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

章節

標籤

生没年不詳。渤海郡蓨県の人。李臻の孫。永嘉の乱では潁川郡定陵県に移住し舞陽にて塢壁を築いた。王浚によって雍州刺史に任じられるが、後に慕容皝に帰順した。昇進を重ねて司空まで昇る。前燕滅亡時に長安に送られ駙馬都尉に任じられた。やがて没した。

関連

宇文導

511年-554年。字は菩薩。宇文顥の子。宇文泰の甥。北鎮の乱では宇文泰とともに葛栄の軍に加わり後に賀抜岳に従った。東魏戦線では主に留守役を務めて、後備えとして前線を支えたほか、内地の反乱にも対応して、西魏体制の恒久化に貢献した。章武郡開国公まで昇り、皇族に次いで序列が高い。

呂隆

?-416年。字は永基。後涼の第4代天王。末主。呂光の弟・呂宝の子。呂纂が呂超らによって殺害されると呂超らに擁立された。相次ぐ内訌により後秦の侵攻に抗えず、降伏して長安に連行された。後に姚弼の謀反に巻き込まれ姚興に処刑された。

元賛

生没年不詳。広平王。元悌の子。北魏の広平王を継ぎ、驃騎大将軍、開府儀同三司となった。叔父にあたる孝武帝・元脩が関中に入るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると皇帝に擁立する動きがあった。司徒、太尉、司空を歴任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めた。

/opt/build/repo/content/dynasties/337_前燕/retsuden/李洪.md