到仲挙 ( とうちゅうきょ )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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517年-567年。字は徳言。到洽の子。陳蒨の下で昇進を重ねた。統治は公平であったが、学問に暗く必ずしも実務に長けてはいなかった。陳蒨の死後、陳伯宗が即位すると、その輔弼を任された陳頊を排除しようとして失敗し、陳頊に逮捕されたのち処刑された。

関連

王鎮悪

373年-418年。北海郡劇県の人。王猛の孫。王休の子。前秦が崩壊して関中が混乱すると、叔父の王曜に従って東晋へ亡命した。武芸は不得意だったが学問には優れ、推薦を受けて劉裕に仕えた。劉裕の北伐に大きく貢献した。沈田子の救援に譴責をもって応えたため、沈田子の不信を買って殺害された。

陸抗

226年-274年。字は幼節。呉郡呉県の人。陸遜の子。母は孫策の娘、妻は張承の娘で諸葛恪の姪。陸遜が死去すると建業に赴き父の生前の疑惑を解いた。後に孫権から陸遜の冤罪について謝罪を受けた。荊州に駐屯し羊祜と鎬を削ったほか、個人的な親交を結んで羊陸之交の故事成語を残した。大司馬、荊州牧まで昇る。

劉顕

?-352年。石祗の属将。冉閔と戦って大敗を繰り返し、恐れるあまり石祗を始め重臣を殺害して冉閔に帰順した。一方で自立を目論み冉閔から離反するが、悉く敗れた。曹伏駒の寝返りで襄国に入城した冉閔によって処刑された。最終的に後趙に止めを刺した人物に当たる。

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