到仲挙 ( とうちゅうきょ )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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517年-567年。字は徳言。到洽の子。陳蒨の下で昇進を重ねた。統治は公平であったが、学問に暗く必ずしも実務に長けてはいなかった。陳蒨の死後、陳伯宗が即位すると、その輔弼を任された陳頊を排除しようとして失敗し、陳頊に逮捕されたのち処刑された。

関連

馮異

?-34年。字は公孫。潁川郡父城県の人。王莽政権下で潁川太守を務め、潁川郡を攻略する劉秀に降伏した。優れた戦略家であり、各地を転戦して負けることがなかった。功績を誇らない姿を大樹将軍と称賛された。河北で劉秀一行が逃避行したとき、豆粥や麦飯を調達したため、劉秀はこれを生涯忘れなかった。征西大将軍、陽夏侯。

范長生

?-318年。字は元寿。涪陵郡丹興県の人。天師道の教祖。蜀の八仙の一人。李特らが益州に入って羅尚と対立したとき、青城山に拠点を構えていたため、羅尚の下で汶山郡太守に任じられた。食糧を供給して李流を支援し、李雄に従って丞相まで昇った。病没。

章昭達

518年-571年。字は伯通。侯景の乱では建康を守るが落城と共に脱出した。陳蒨と親交を結び、王琳、周迪、陳宝応、留異らの反乱を平定して、陳初の安定に寄与した。その後も、華皎や欧陽紇の反乱を鎮めつつ、後梁や北周と戦った。病没。

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