羊献容 ( ようけんよう )

publish: 2022-02-27, update: 2026-04-20

?-322年。羊玄之の子。泰山羊氏の出自。母が孫旂の娘であったことから、司馬倫が賈南風を廃位したとき孫秀によって恵帝皇后に擁立された。その後、八王の乱で主導者が入れ替わるたびに廃位と復位を繰り返した。洛陽陥落時には平陽へ連行され劉曜に保護され、後に皇后となった。皇后となること七度に及ぶ。

関連

劉炟

57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。

鄧禹

2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。

元廓

537年-557年。西魏の第3代皇帝。恭帝。元宝炬の第4子。元欽が宇文泰に廃位されると代わりに擁立された。宇文泰が死去すると宇文護に譲位を迫られて禅譲した。宇文覚が皇帝に即位し北周を建てると宋公に封じられるが間もなく殺害された。在位2年。

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