杜洪
publish: 2026-05-16, update: 2026-05-16
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?-352年。京兆郡の人。冉閔と石祗が対立すると、王朗、麻秋は長安から洛陽に入ったため、張琚と共に関中を占拠した。枋頭から関中攻略を目指して西進する苻健に敗れ、司竹、宜秋に逃れた。張琚によって殺害されたとも、苻健の攻撃によって敗死したともある。
関連
拓跋宏
467年-499年。北魏の第6代皇帝。孝文帝。拓跋弘の第1子。父拓跋弘の譲位により即位する。馮太后による垂簾聴政により北魏を最盛に導いた。拓跋から元への改姓、平城から洛陽への遷都、九品官人法の部分導入など、漢化と中央集権化を通して胡漢融合を促進した。在位28年。
姚萇
331年-394年。字は景茂。後秦の創建者。武昭帝。姚弋仲の子。姚襄の弟。羌の出身。父の代では前趙、後趙に帰属したが兄・姚襄が前秦と戦い敗死した背景を持つ。前秦に降伏した後は各地を転戦して功績を挙げた。淝水の戦い以後独立し苻堅を殺害した。病没。在位8年。
王祥
185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。