傅俊 ( ふしゅん )

publish: 2021-10-03, update: 2026-04-19

? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。

関連

慕容評

生没年不詳。慕容廆の子。軍を率いては功を重ね、慕容恪とともに朝政を管掌した。しかし統治には暗く、慕容垂を政敵として離反させ、慕容恪の死後は政治が腐敗した。前秦の攻撃を受けて高句麗へ亡命したが捕縛、送還された。苻堅によって范陽郡太守に任じられ、任地にて没した。

司馬曜

362年-396年。字は昌明。東晋の第9代皇帝。孝武帝。司馬昱の第6子。父司馬昱の死後、桓温の権勢が続く中で王坦之、王彪之、謝安の尽力で即位した。治世は淝水の戦いで前秦を崩壊させるなど東晋の全盛期となったが、謝安の死後は後宮に入り浸り張貴人に暗殺された。在位24年。

羅尚

?-310年。字は敬之。羅式の子。羅憲の甥。幼くして父を亡くし叔父の羅憲に養育された。荊州刺史・王戎の参軍を務め、呉征討では王戎の前衛として進軍した。梁州刺史ついで益州刺史を拝命した。難民を統率した李特と対立し、一時は李特を敗死させて優勢となったが、成都を保持し得ず巴郡を拠点とした。病没。

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