劉貴 ( りゅうき )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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?-539年。秀容郡陽曲県の人。劉乾の子。爾朱栄の属官を務めると厚く信任され、将軍職、刺史職を歴任し、爵位は公まで昇った。爾朱氏の内紛で高歓が挙兵するとこれに従った。主に対西魏戦線に立ち西魏の独孤信らと戦った。

関連

王覇

?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。

諸葛玄

?-197年。琅邪郡陽都県の人。諸葛亮の叔父。兄・諸葛珪が急死したため一族の家長を務めた。承制によって豫章太守となるが、朝廷から正式に豫章太守に任命された朱皓と争った。荊州に逃れてまもなく病没したとも、朱皓を支援する劉繇、笮融と敵対して敗死したともあり定かではない。

劉辯

173年-190年。少帝。後漢の第13代皇帝。劉宏の子。皇太后・何氏と何進によって擁立されたが、まもなく何進は宦官の張譲らに暗殺され、張譲ら宦官も袁紹らに虐殺されたため、朝廷は混乱の極みに達した。後に朝廷を掌握した董卓によって弘農王に降格され、長安への遷都を前にして毒殺された。

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