蓋延
publish: 2021-08-15, update: 2026-04-19
?-39年。字は巨卿。漁陽郡要陽県の人。身長八尺、三百斤の強弓を引いた肉体の持ち主。漁陽太守・彭寵の下で営尉、護軍都尉を兼任した。彭寵とともに劉秀に従い偏将軍、列侯となった。将軍職の上位にあり多くの遠征を指揮した一方で、血気盛んで非法が多かった。虎牙大将軍、安平侯。
当時の度量衡で八尺は184cm、三百斤は66kgにあたる。
関連
李蕩
?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。
慕容恪
?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。
乞伏乾帰
?-412年。字は高祖。西秦の第2代の王。武元王。乞伏国仁の弟。始め前秦の苻登に従ったが苻登が戦死すると子の苻崇を攻撃し前秦を滅ぼした。亡命を繰り返すも自己の勢力を保持し続け後秦の衰退が顕著になると再び独立した。甥の乞伏公府に殺害される。