呂纂 ( りょさん )

publish: 2021-11-09, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-401年。字は永緒。後涼の第3代天王。霊帝。呂光の子。呂紹、呂弘の兄。庶子であったため立太子されなかった。呂紹からの譲位を拒否したが、呂弘に唆されて呂紹を廃した。後に対立し挙兵した呂弘を討った。南涼や北涼を攻撃するものの失敗し、呂超に殺害された。

関連

拓跋普根

?-316年。代の第2代王。拓跋猗㐌の子。父・拓跋猗㐌の死後は中部拓跋部を継いだが、拓跋猗盧が三部を統合するようになるとこれに従った。拓跋猗盧が拓跋六脩に殺されると、拓跋六脩を殺して王位を継いだ。間もなく死去。在位は僅か一ヶ月。跡は子が継いだが名は伝わらない。

宇文護

513年-572年。字は薩保。代郡武川鎮の人。宇文顥の子。宇文泰の兄の子であり、宇文泰と共に西魏の重臣となった。宇文泰の死後、北周が成ると専横を強めた。趙貴、独孤信らの重臣のほか宇文覚、宇文毓を殺害する暴虐の一方で、優れた治政により北斉との国力を逆転させた。愚鈍を演じた宇文邕によって殺害された。晋国公。

可足渾氏

生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。

/opt/build/repo/content/dynasties/389_後涼/hongi/3_401_呂纂.md