慕容恪 ( ぼようかく )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。

関連

朱异

483年-549年。字は彦和。寒門の出身で、蕭衍の貴族制度改革によって台頭した恩倖の代表格。侯景の降伏受入を薦め、一方では東魏との和平を薦めたため、侯景の乱のきっかけを作った。有能ではあったが私心が多く、梁の国政を傾けるに至った。平家物語には奸臣として載る。

王聖

生没年不詳。安帝・劉祜の乳母。鄧氏一族が政権を運営するとこれに不満を持ち、鄧綏の兄・鄧悝が平原王・劉翼の擁立を画策していると誣告し、劉翼の都郷侯降格へとつながった。野王君に封じられて江京、樊豊、王伯栄とともに恣肆暴虐と評された。閻氏一族の権力掌握により失脚し雁門郡へ流刑された。

趙貴

?-557年。字は元貴、元宝。天水郡顕親県の人。祖父・趙仁の代に武川鎮に移った。六鎮の乱では葛栄に捕えられたが、葛栄が敗れると、爾朱栄に降って賀抜岳に従った。賀抜岳の死後は残党の収拾に務め宇文泰を迎え入れた。西魏の重鎮。行政に優れた。北周成立時に宇文護の暗殺を謀ったが露見して処刑された。

/opt/build/repo/content/dynasties/337_前燕/seika/367_慕容恪.md