慕容恪 ( ぼようかく )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。

関連

陳頊

530年-582年。字は紹世。陳の第4代皇帝。宣帝。陳霸先の兄陳道談の第2子。陳蒨の死去にあたって劉師知や到仲挙らとともに陳伯宗の補佐を託されるが、劉師知や到仲挙を排除して陳伯宗を廃位し、皇帝に即位した。内政に力を注いだが、北斉を滅ぼした北周に圧迫された。在位13年。

劉衛辰

?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。

禿髪烏孤

?-399年。南涼の創建者。武王。禿髪思復鞬の子。鮮卑禿髪部の出身。後涼に従ったが勢力を拡大させ続けた。呂光は禿髪烏孤の勢力を恐れて官位をもって懐柔しようとしたが応じず、王位を自称して独立した。落馬が原因で死去。

page /opt/build/repo/content/dynasties/337_前燕/seika/367_慕容恪.md