燕鳳 ( えんほう )

publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19

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?-428年。字は子章。代郡の人。学問を修めてその高名を知った拓跋什翼犍に招かれた。長らく応じなかったが半ば強引に礼遇され、左長史に任じられたほか、太子・拓跋寔の教師役となった。代が前秦に併呑されると嫡流の拓跋珪を匿った。拓跋珪が独立すると北魏の中央職を歴任した。

関連

王永

?-386年。北海郡劇県の人。王猛の子。扶風郡太守を務め幽州刺史となった。淝水の戦い以後、続発する反乱に尽力した。苻堅の処刑が河北に伝わると、苻丕を皇帝に推戴し諸国へ檄を飛ばした。晋陽を拠点として交戦したが、西燕の攻撃を受けて戦死した。

沮渠牧犍

368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。

段氏

生没年不詳。字は季妃。南燕の献武帝・慕容徳の皇后。 諱が伝わらず段季妃と通称する。 段儀の子。 姉の段元妃と共に才色を兼ね備えて志が高かった。 慕容徳が前秦から離反した時に嫁ぎ、後に后となった。 男子が無く慕容超を皇太子としたが、慕容超即位後は慕容超の廃位に加担し、皇太后を廃された。

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