燕鳳
publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19
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?-428年。字は子章。代郡の人。学問を修めてその高名を知った拓跋什翼犍に招かれた。長らく応じなかったが半ば強引に礼遇され、左長史に任じられたほか、太子・拓跋寔の教師役となった。代が前秦に併呑されると嫡流の拓跋珪を匿った。拓跋珪が独立すると北魏の中央職を歴任した。
関連
王華
385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。
慕容盛
373年-401年。字は道運。後燕の第3代皇帝。昭武帝。慕容宝の第1子。幼年時代を長安で過ごしたが西燕が安定しなかったため後燕に亡命した。蘭汗が慕容宝を殺害すると一時は蘭汗に従うがまもなく殺害して皇帝に即位した。治政は厳格に過ぎ相次ぐ反乱の中で横死した。在位3年。
司馬攸
246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。