高隆之
publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19
494年-554年。字は延興。元の姓を徐という。徐幹の子。元悦の属官となるが、早くから高歓と親交を深めた。農業や治水の政策に明るかった。高澄の死後は高洋を軽んずる振る舞いがあり、高洋に殺害された。長身で美しい髭を持ち、感情を表に現さなかった。四貴の一人。
関連
蕭宝融
488年-502年。字は智昭。蕭斉の第7代皇帝。和帝。蕭鸞の第8子。人心を失った蕭宝巻打倒を目指す蕭衍に擁立されて皇帝に即位した。蕭衍が蕭宝巻を殺害して建康を平定すると、蕭衍に皇帝の位を譲った。蕭衍により巴陵王に封じられるがまもなく殺害された。在位1年。
慕容永
?-394年。西燕の第6代皇帝。慕容運の孫とされるが父は不明。前燕の滅亡時に長安へ移住し、生活は困窮した。慕容垂が挙兵すると同時期に挙兵し、慕容泓、慕容沖と合流した。慕容忠が刁雲に殺害されると西燕をまとめて慕容垂に臣従したが、すぐに独立して8年に渡って割拠した。後に慕容垂の攻撃を受けて処刑された。
宋混
?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。