耿弇
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。
関連
劉懿
?-125年。少帝。後漢の第7代皇帝。済北王・劉寿の子。劉炟の孫。劉祜の死後、皇太后・閻氏によって擁立されたが、間もなく病没した。後に、孫程によって閻一族が粛清されると、王に降格されて改葬された。正史である范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。
李賁
503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。
劉肇
79年-106年。和帝。後漢の第4代皇帝。劉炟の子。10歳で即位し義母である皇太后・竇氏の輔弼を受けた。長じて竇氏の強い専横を解こうとして対立し、宦官の鄭衆を頼って竇一族を排除した。後の外戚、宦官の対立構造の初端となった。班超の西域経営により後漢最大の版図を成した。