耿弇 ( こうえん )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。

関連

陸法和

?-558年。出自は定まらない。貧道を自称して多数の弟子を取った宗教指導者。侯景が乱を為すと蕭繹に従い、任約や蕭紀を相手に戦った。蕭繹の即位と共に累進するが、指導者の立場を崩さず独自路線を採り、西魏が江陵を制圧すると北斉の高岳に降った。高官を務めつつ道士として全うした怪人物。

銚期

?-34年。字は次況。潁川郡郟県の人。銚猛の子。身長八尺二寸。馮異によって推薦され賊曹掾となり薊に赴任した。鄧禹の属官として信任を得て、王郎討伐のほか、銅馬、青犢、赤眉など反乱軍と激戦した。法に厳正で信義があり諫言を行った。衛尉、安成侯。

元曄

?-532年。北魏の第10代皇帝。東海王。拓跋濬の弟拓跋楨の孫、元怡の子。爾朱栄が元子攸に殺害されると、爾朱世隆らに擁立された。爾朱世隆の傀儡であり、傍系の出身でもあって人望を得られなかったため、即位翌年に廃立された。後に後難を恐れた元脩に殺害された。

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