耿弇 ( こうえん )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。

関連

劉貴

?-539年。秀容郡陽曲県の人。劉乾の子。爾朱栄の属官を務めると厚く信任され、将軍職、刺史職を歴任し、爵位は公まで昇った。爾朱氏の内紛で高歓が挙兵するとこれに従った。主に対西魏戦線に立ち西魏の独孤信らと戦った。

慕容皝

297年-348年。字は元真。前燕の初代王。文明帝。慕容廆の三男。父慕容廆の死後、弟慕容仁と覇権を争うが、これを収めて遼東公となる。燕王を称し東晋に追認される。同じ鮮卑の段、宇文を滅ぼし、高句麗、後趙へ外征した。落馬の重症が元で病没。在位15年。

張軌

255年-314年。字は士彦。前涼の創建者。武公。八王の乱により中央が乱れると涼州刺史を望んで赴任した。涼州に独自の勢力を築いたが一貫して西晋への臣従を貫いた。洛陽失陥以後、前趙の首都平陽の攻略の計画するが実行されなかった。病のため死去。

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