苟晞 ( こうき )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

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?-311年。字は道将。貧しい家の生まれだったが、東海王・司馬越に招聘されて、陽平郡太守まで昇進した。八王の乱では、主に司馬越に従い、公師藩、劉喬、汲桑らを討伐し、威光を高めた。青州刺史として曹嶷らと争った。後に司馬越と対立し、司馬越の死後、石勒によって滅ぼされた。有能であったが過酷でもあった。

関連

慕容法

生没年不詳。南燕の中軍将軍、兗州刺史。 後に、征南大将軍、都督徐州揚州兗州南兗州諸軍事として南燕の軍事を支えた。 あからさまに慕容超を軽侮した。慕容超の即位後は不和が明確になり、慕容鍾、段宏と共に謀反するが、失敗して北魏へ逃亡した。

司馬道子

364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。

蘭汗

?-398年。慕容垂の母・蘭氏の弟、慕容盛の舅。段速骨が反乱すると呼応して龍城を陥落させた。段速骨を殺害して慕容宝を迎え入れようとしたが、弟・蘭加難が慕容宝を殺したため実現しなかった。大単于、昌黎王に即位し青龍と改元した。慕容盛を迎え入れたが慕容盛に謀られ殺害された。

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