呉明徹 ( ごめいてつ )

publish: 2021-11-03, update: 2026-09-05

512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。

関連

張耀霊

343年-355年。字は元舒。前涼の第6代君主。哀公。張重華の次男。張重華が病を患うと10歳で世子に立てられる。張重華は謝艾に後見を任せようとしたが、遺詔は捏造され張祚に摂政が委ねられた。幼年を理由に張祚に廃され復位の兆しが出ると殺害された。

乞伏暮末

?-431年。西秦の第4代の王。乞伏熾磐の子。乞伏熾磐の死後王位を継承した。北涼の攻撃により北魏への帰順を画策するが果たされなかった。夏の攻撃に降伏し、まもなく赫連定に殺害された。在位3年。

苻崇

?-394年。前秦の第6代皇帝。末主。苻登の子。父苻登が戦死すると湟中へ逃れて皇帝に即位した。西秦の乞伏乾帰に攻撃されると仇池の楊定を頼るが敗北、処刑された。建国44年目にして前秦は滅亡した。

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