呉明徹 ( ごめいてつ )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。

関連

劉植

?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。

慕容徳

336年-405年。字は玄明。南燕の初代皇帝。献武帝。慕容皝の子。前燕の范陽王。前燕が滅びると前秦に降って張掖太守を任じられた。淝水の戦いで前秦が大敗すると兄・慕容垂に従って後燕の車騎将軍となる。北魏の攻撃により慕容宝が北へ逃れると、山東半島で独立し皇帝を称した。

司馬衷

259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。

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