王融 ( おうゆう )

publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19

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467年-493年。字は元長。名門貴族である琅邪王氏の出身。王道琰の子。竟陵八友の一人。蕭賾の死後、蕭子良を擁立するが、蕭子良に即位の意思はなく、蕭鸞が蕭昭業を奉じて強く反対したため、蕭昭業の即位の後、逮捕され、ほどなく自殺を命じられた。

関連

鮮于亮

生没年不詳。范陽郡の人。はじめ石虎に仕えたが後趙が段部を攻撃したとき、前燕の奇襲を受けて捕縛された。堂々とした態度が認められそのまま慕容皝に取り立てられた。前燕の高句麗討伐や中原進出では先鋒をになった。章武郡太守、斉郡太守を歴任した。

斛律金

488年-567年。字は阿六敦。朔州勅勒部の人。斛律大那瓌の子。塵を見て敵の数を知り、地を嗅いで敵の距離を測ったという。破六韓抜陵に従ったが降伏して爾朱栄に帰順した。その後、高歓に従い東魏、北斉の変遷の中で自身のみならず一族を繁栄させた。咸陽郡王、左丞相。

慕容渉帰

?-283年。鮮卑慕容部の大人。慕容木延の子。慕容廆の父にあたる。西晋への一貫した従属関係に変化をもたらし、遼東へ移住して西晋に離反した。

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