賀蘭祥 ( がらんしょう )

publish: 2022-02-21, update: 2026-04-19

517年-564年。字は盛楽。代郡の人。武川鎮の出身で幼くして孤児となり、宇文氏とは常に進退を同じくした。行政にも優れて、流民や少数民族の帰化、堰や灌漑の整備に尽くしたほか、個人としては贈答を受け取らない清廉さを称賛された。宇文護政権でも活躍し、涼国公まで昇る。

関連

司馬紹

299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。

苻堅

338年-385年。字は永固。前秦の第3代皇帝。宣昭帝。苻雄の子。苻生を廃して皇帝に即位した。内政を充実させ、外征では前燕、仇池、前涼、代を立て続けに滅ぼし華北を統一した。淝水の戦いで東晋に大敗すると各地で造反が起こり禅譲を迫る姚萇に殺害された。

王僧弁

?-555年。字は君才。王神念の子。父の代に北魏から梁へ亡命した。蕭繹に仕えて竟陵郡太守となった。侯景の乱では、蕭誉を討伐し、次いで陳霸先と協力して建康の奪還に成功した。蕭繹が江陵で敗死すると、帝位の正統を廻って陳霸先と対立し、陳霸先に殺害された。

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