賀蘭祥
publish: 2022-02-21, update: 2026-04-19
517年-564年。字は盛楽。代郡の人。武川鎮の出身で幼くして孤児となり、宇文氏とは常に進退を同じくした。行政にも優れて、流民や少数民族の帰化、堰や灌漑の整備に尽くしたほか、個人としては贈答を受け取らない清廉さを称賛された。宇文護政権でも活躍し、涼国公まで昇る。
関連
劉裕
363年-422年。字は徳輿。劉宋の初代皇帝。武帝。劉翹の子。劉牢之に従い軍功を重ねた。劉牢之が失脚すると桓玄に属したが、桓玄が司馬徳宗を廃して皇帝を自称すると、劉毅・諸葛長民らと反乱した。桓玄を討って司馬徳宗を復位させるが、後に自ら皇帝となり宋を建国した。在位2年。
高開
?-352年。渤海郡蓨県の人。高瞻の子。父の高瞻は東夷校尉・崔毖に属したが、崔毖が慕容廆に敗れると憂死した。慕容儁の代に仕官し、昌黎郡太守となった。前燕の中原進出に従軍し、慕容恪に献策して不利な前燕軍を立て直した。冉閔との乱戦のなか傷を受け病没した。
劉煕
?-329年。字は義光。前趙の第6代皇帝。劉曜の第3子。後趙の洛陽攻略中に父劉曜が捕縛され殺害されたため、長安から上邽へと遷都した。長安回復のため兄劉胤を派遣するが石虎に敗れ、そのまま上邽を攻略する石虎によって処刑された。建国26年目にして前趙は滅亡した。