賀蘭祥
publish: 2022-02-21, update: 2026-04-19
517年-564年。字は盛楽。代郡の人。武川鎮の出身で幼くして孤児となり、宇文氏とは常に進退を同じくした。行政にも優れて、流民や少数民族の帰化、堰や灌漑の整備に尽くしたほか、個人としては贈答を受け取らない清廉さを称賛された。宇文護政権でも活躍し、涼国公まで昇る。
関連
蕭正徳
?-549年。字は公和。臨賀王。蕭宏の第3子。蕭衍の甥にあたり一時は蕭衍の養子とされたが、後に蕭統が生まれると後継から外された。侯景と通じて建康を陥落させた。侯景に擁立されて皇帝を称するが、すぐに侯景に廃された。鄱陽王・蕭範に内通するが露見して侯景に殺害された。
王粲
177年-217年。字は仲宣。山陽郡高平県の人。王謙の子。後漢の三公を輩出した名家に生まれた。幼いころに董卓の遷都に従い長安へ移住したが、長引く戦乱を避けて荊州へ移った。劉表には遇されず、劉表の死後は劉琮と共に曹操に帰属した。博識で記憶力に優れ、侍中まで昇った。
慕容隆
?-397年。後燕の高陽王。慕容垂の子。兄・慕容農と共に父の進退に従った。苻丕を軍を破るなど各地を転戦、慰撫し、慕容農に次ぐ人望と名声を得た。慕容垂の死後は、一貫して慕容宝を支援した。後継問題を機に謀叛した慕容会に暗殺された。