桓温 ( かんおん )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

章節

標籤

312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。

桓温は簒奪を狙ったがために、その本来の功績に比べてその印象は揮わない。 しかし、決して悪政を行わず、東晋の成漢併合、中原の回復を成し得たことは、東晋史上最大級の功績である。 また功労者だからこそ成し得る土断を行って内政の拡充したことも、桓温の影響力がいかに強力であったかの証左として見える。

その影響力は、「竹馬の友」や「断腸」という故事にも残る。

関連

元懌

487年-520年。字は宣仁。清河文献王。第6代皇帝・拓跋宏の子。元悦の兄。東魏皇帝・元善見の祖父。外戚の高肇が専権を揮う中、太傅、太尉まで登って北魏の中枢を担った。専横を強める元叉を抑えようとして、逆に誣告され殺害された。

沈田子

383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。

姚泓

388年-417年。字は元子。後秦の第3代皇帝。末主。姚興の第1子。弟の姚弼と後継争いのすえ帝位を継ぐが、その後も一族の造反が絶えず、夏や東晋の圧力の前に後秦は一気に衰退した。東晋の王鎮悪の攻撃に降伏し、建康にて処刑された。在位1年。

page /opt/build/repo/content/dynasties/317_東晋/retsuden/373_桓温.md