桓温
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。
桓温は簒奪を狙ったがために、その本来の功績に比べてその印象は揮わない。 しかし、決して悪政を行わず、東晋の成漢併合、中原の回復を成し得たことは、東晋史上最大級の功績である。 また功労者だからこそ成し得る土断を行って内政の拡充したことも、桓温の影響力がいかに強力であったかの証左として見える。
その影響力は、「竹馬の友」や「断腸」という故事にも残る。
関連
蕭琮
生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。
劉粲
?-318年。字は士光。前趙の第4代皇帝。隠帝。劉聡の次男。都督中外諸軍事、相国などの重要職を歴任した。皇太弟劉乂の存在により長らく皇太子に立てられなかったが、後に劉乂を謀殺し皇太子となる。劉聡の死後、皇帝に即位するも外戚の靳準に謀反され処刑された。在位3か月。
劉懿
?-125年。少帝。後漢の第7代皇帝。済北王・劉寿の子。劉炟の孫。劉祜の死後、皇太后・閻氏によって擁立されたが、間もなく病没した。後に、孫程によって閻一族が粛清されると、王に降格されて改葬された。正史である范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。