賈充 ( かじゅう )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

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217年-282年。字は公閭。賈逵の子。賈南風の父。曹爽の失脚後、司馬氏に取り立てられた。曹髦殺害を指揮して罪に問われなかったように、司馬氏の腹心として絶大な信任を得た。派閥を好み、人事評価は好悪が先んじた。西晋建国の功臣として筆頭に挙がる。病没。

関連

宋混

?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。

劉保

115年-144年。順帝。後漢の第8代皇帝。劉祜の子。閻氏らによって廃嫡されていたが、孫程が閻氏らを排除すると擁立されて即位した。宦官の封爵、家督相続を認め、宦官の政治参加を促進した。賢臣を集め、外戚・梁氏の献身を得たが、梁冀への権力集中が高まると、その掣肘が成されるまま没した。

竇武

?-168年。字は游平。右扶風平陵県の人。竇奉の子。竇融の玄孫。娘の竇妙が桓帝・劉志の皇后となり外戚となった。外戚ゆえの昇進を自覚し自重に徹したため、外戚でありながら清流派の名声を得た。劉志が没すると大将軍となった。宦官排斥を目指して陳蕃と謀議するが、先手を打った曹節の派遣する張奐によって攻め滅ぼされた。

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