賈充 ( かじゅう )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

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217年-282年。字は公閭。賈逵の子。賈南風の父。曹爽の失脚後、司馬氏に取り立てられた。曹髦殺害を指揮して罪に問われなかったように、司馬氏の腹心として絶大な信任を得た。派閥を好み、人事評価は好悪が先んじた。西晋建国の功臣として筆頭に挙がる。病没。

関連

劉子鸞

456年-465年。字は孝羽。劉駿の子。始平王。襄陽王、新安王から改封された。呉郡太守、南徐州刺史、司徒、中書令などの重職を兼任した。幼少にしてこの待遇であり、常々嫉視していた兄・劉子業から賜死を受けた。死に臨んで再び皇族には生まれたくないと言葉を残した。

楊愔

511年-560年。字は遵彦。弘農郡華陰の人。楊津の子。名門、弘農楊氏の出。幼くして寡黙、沈着で言論に優れた。北鎮の乱を経て高歓に仕官し行台郎中となった。公文書を扱って枢機に預かり、高洋の即位後は侍中、尚書令を歴任した。高演、高湛の排除を目論み露見し殺害された。

殷景仁

390年-441年。陳郡長平県の人。殷道裕の子。劉毅の属官を経て劉裕に従い、そのまま宋の成立と共に入朝した。当初は劉湛との関係も良好で、荊州に出向した劉湛の呼び戻しを推薦したが、後に一方的に劉湛からは憎まれた。病を称して家に留まること五年におよび、その間、劉義隆との書簡の往来で職務を全うした。

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