景丹
publish: 2021-08-15, update: 2026-04-19
?-26年。字は孫卿。馮翊櫟陽県の人。王莽の頃、上谷郡の吏を務め、劉玄の即位に伴って上谷郡の長史となった。劉秀に従うと偏将軍、奉義侯となり河北平定で大きな功を成した。呉漢に次ぐ軍権を持った。蘇況の討伐を病を押して遂行し、そのまま没した。驃騎大将軍、櫟陽侯。
関連
慕容翰
?-344年。字は元邕。慕容廆の庶長子。父の寵愛を受け、大任をこなす才略を持ち徳望を集めた。庶子という立場から慕容皝に疎まれて、段部や宇文部に亡命した。後に慕容皝に迎えられて帰国し厚遇されたが、病床に伏せるようになると讒言を信じた慕容皝に賜死を受けた。
王猛
325年-375年。字は景略。北海郡劇県の人。漢人。貧しい幼少を経て鄴へ遊学した。徐統に取り立てられたが応じず華山へ隠遁した。呂婆楼に推挙されて苻堅に仕え、その様は劉備と諸葛亮に例えられる。内治から前燕攻略まで枢機に携わり丞相まで昇った。病没。武廟六十四将。
王朗
生没年不詳。後趙の領軍、車騎将軍を歴任し、石虎に重用された。石虎の死後、後趙が乱れると長安に駐屯し、東晋の北進に備えた。冉閔と敵対し、冉閔に通じた麻秋によって誅殺されかけると、襄国の石祗を頼った。張挙、石琨らと鄴の冉閔を攻撃したが敗北した。前秦に降った後、事跡は不明。