諸葛玄
publish: 2022-02-08, update: 2026-04-19
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?-197年。琅邪郡陽都県の人。諸葛亮の叔父。兄・諸葛珪が急死したため一族の家長を務めた。承制によって豫章太守となるが、朝廷から正式に豫章太守に任命された朱皓と争った。荊州に逃れてまもなく病没したとも、朱皓を支援する劉繇、笮融と敵対して敗死したともあり定かではない。
諸葛玄を豫章太守に任命したのは劉表(『呉書』『献帝春秋』)、あるいは袁術(『蜀書』)だとされる。
関連
畢義雲
生没年不詳。代々刺史職を務め、施しをもって困窮者を救ったが、元来の性は豪縦であり、羊烈や宋遊道から誹られた。倫理に欠如しており、乱れた性生活、散財、過度な懲罰は朝野の知るところとなり、あるとき突然、怪死した。蘭子暢の捜査によれば犯人はその遺留物から庶子の畢善昭とされる。
元懌
487年-520年。字は宣仁。清河文献王。第6代皇帝・拓跋宏の子。元悦の兄。東魏皇帝・元善見の祖父。外戚の高肇が専権を揮う中、太傅、太尉まで登って北魏の中枢を担った。専横を強める元叉を抑えようとして、逆に誣告され殺害された。
賈南風
257年-300年。司馬衷の皇后。賈充の3女。嫉妬深く権謀を好んだ。司馬炎からは5つの欠点を指摘されたが、賈充派の強い後押しがあって太子妃となった。楊駿の殺害後は八王の乱の中心人物となり、司馬亮、衛瓘を初めとする宗族や重臣を粛清した。皇太子・司馬遹殺害の罪で、司馬倫に処刑された。